2011年12月11日日曜日

教科書という存在

以前、吉田さんと「教科書のプラス面・マイナス面」を考えたことがありました。



プラス面の最大のものは、これがあればある程度のレベルの教育成果が確保できるという点です。



反対に、マイナス面では、次の何点かが指摘されました。






・正解が書いてあるので、それを覚えることが勉強となり、主体的に自分で探り出す学習ができなくなる →「思考停止」状態



・生徒がよく学べるために欠かせない主体的に考える、質問する、探究する、応用するといった要素が極めて弱い



・教科書に書いてあることをなぞる単調な一斉授業になりがち



・教師が学び続けることを妨げる



・教師には、カバーしなければいけないもの、という義務感を生む






 今年から小学校の教科書は新しい教育課程に合わせて、かなりページ数が増えました。



 これまでの多くの保護者の意識は「教科書はカバーすべきもの」という捉え方ですから、そこは保護者会などで授業では教科書のすべてのページを扱うものではないことを説明しておかないと、「うちの担任は教科書をやり残したまま年度を終えてしまった」というようなクレームがつくことになってしまいます。






 教科書を利用すればだれが教えてもそれほど差はないので、ある程度のレベルが確保できるというメリットがあります。ただ、そのようなやり方で身につくものは「学力」のほんの一部だと思います。



 「活用型学力」と呼ばれるものをこれから目指すわけですから、教科書はいろいろある教材・資料の一部に過ぎないのです。このことはだれでも理解はできるのですが、いざ実行しようとすると難しい。ここをどうやって突破するかです。



 



 (メルマガの続き)






結論から先に言えば、やはり「学び続ける教師集団」をどう組織するかという一点に尽きます。

 「教える」ことよりも「学ぶ」ことを優先させる。
 教師という仕事は「子どもたちに教える仕事」であるわけですが、その前に「自分自身が常に学ぶ」ことがなくてはならないわけです。
よく昔から「学び続ける者のみ、教える資格がある」と言われますが、まさにそこだと思います。
それでは、「学び続ける教師集団」を作るにはどうすればいいのでしょうか。

第一に、校長が「学びのリーダー」であることを行動で示す必要があります。教育関係の情報に通じていることはもちろん、それをいつでも周囲に提供する姿勢が大切です。そして、学校にいるときは教室での学びに様々な形でかかわっていくことです。これがないと、だれもついてこないでしょう。

第二に、校内の「互いに学びあう」関係づくりを行う必要があります。
数十年前は意図的にそのような配慮をしなくても、先輩後輩のメンタリング関係が自然とできあがっていました。今は、そこを意図的にやる必要があります。極端なことを言えば、これがあれば、全校体制の校内研修は回数が少なくても資質向上は図れることになります。
「チームでの学び」という形態も今後どんどん取り入れていくようにしたいと思います。

第三に、学びあう集団づくりが可能になるように、「選択と集中」を行います。
「学び合い」に必要のないものを「思い切ってやめる」という勇気が求められるでしょう。あれもこれもと、やらなければならないことがたくさんありますが、線引きする必要もあります。
また、限りある資源(ヒト・モノ・カネ)をビジョン実現のためにできる限り集中することです。
 
以上の取組を行えば、徐々に学校全体が「学びあう集団」に変わっていきます。




私の経験では、このように変えていくのに最低でも3年は必要だと思います。

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